昔話を少し。

こんにちわ!
小川町駅前店の石原です。

秋ですね。
妙に暖かいですけどもねw

秋といえば少ししんみりとしたノスタルジックに浸ってしまったり・・・
ぼくは東京生まれ東京育ちなので本当は郷愁なんてないんですけどもね。
そんな気分を味わいたい時ってあるじゃないですか?
少しあるんです。

なんで少しだけ昔語りをさせてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくは一応大学出てます。

東洋大学印度哲学科ってゆ~冗談みたいなところの出身です。

インド哲学・・・つまり仏教が主体の学科でしたね。

なもんで、お坊さんが大勢いらしたんですね。

 

ぼくが一番お世話になった教授も、そのお一人です。

ゼミで扱う内容はあんまし頭に入ってこないんですけどもね。

先生がその合間合間にされるお話が、な~んか妙に心に染み入っておりまして。

それもそのはず、その先生は後に高野山のトップテン(なんか元老院みたいな職務です)のお一人になられました。

とんでもなく高僧ですね。

ど~りでありがたいお話でした。(-人-)アリガタヤ…zzZZ

 

そんな先生のお話を一つご紹介したいと思います。

 


 

<毒矢のお話>

 

お釈迦様(シッダルタ)がまだ王子様だったころのお話です。

 

シッダルタがある時お散歩にでかけました。

シッダルタは王子様ですから、少し出かけるだけでもおつきのものが大勢ついてきます。

ガードマンから腰元から賑やかしのひとまで。

シッダルタはお輿に乗ってゆらゆら揺れてゆくだけです。

 

ふと見ると、道端で男の人が苦しんでいます。

やさしいシッダルタは、お供のお医者さん達(複数名います)に

「あの人を助けてあげて!」と頼みます。

下賤の者とはいえ、シッダルタの命令ですから断ることはできません。

むしろお医者さん達はシッダルタの前でいいところを見せようと、勇んでリキんで臨みます。

 

お医者さんたちは自分の得意としている医学を存分に奮って…

 

「これは経絡の乱れである。すぐさま鍼治療をして整えねばならない!」

「いやいやこれはまずお腹から整えねば。早くお薬を飲ませよう。」

「や~これは暑さにあたったのでしょう。まずは補水とミネラルを…」

(詳しい内容を忘れたので石原が勝手に演出しておりますw)

 

各々が理論を建て、様々な治療を施しますが、男の人は一向によくなりません。それどころかみるみる顔色が悪くなってゆくのです。

当惑するお医者さん達がお手上げ状態になったところへ、シッダルタがトコトコと男に歩み寄り、背中に刺さった“毒の矢”を抜いてあげました。

・・・とさ。

 


 

・・・よくわからなかったという方の為に補足しますね!

ぼくも初めてこのお話を聞いたときには一瞬意味がわからなかったです。

 

まずお医者さん達は、王子様おつきの先生なくらいですから、本来ヤブではなかったでしょう。

一生懸命に勉強をして、その道のエキスパートとしてシッダルタに仕えていたに違いありません。

普段であれば誰一人として、そんな判りやすい傷病の原因である背中の“矢”に気付かないはずがないんです。

しかし彼らは“シッダルタに良いところを見せよう”という功名心にやられて、医者本来の務めである“患者に向き合う”ということを失念してしまったのです。

 

どんなに熟練していても、どんなに地位が高くなろうとも、一番大切な本質を見失うと“毒矢という一番簡単なものでも見落としてしまう”という教訓です。

 


 

ぼくはあったんですよね。ときどき頭でっかちになってしまってたんです。

流石に功名心や地位や名誉に興味はないのですが、特にスキルを貪欲に追及していた時期には陥りがちでした。

陥ってその後で「はっ!」として、いつもこのお話を思い出します。

知識や技術を患者さんに提供することが主旨なのではなく、その方その方に必要な知識・技術を“一緒に探してゆく”ことが我々の仕事なんだと、いつも心に戒めております。

も~さすがに陥ってないですからね!

卒業いたしました。

 

誰しもベテランになりかけの頃に少なからずご経験があるのではないかと思いますが、ここを卒業ないと一人前のベテランとは云えないかもしれませんね。

 

別に秋とか関係なかったんですけどもね。

ぼく自身、敬虔な仏教徒でもないですし(一応浄土真宗です)。

でも定期的に思い出して誰かに話しておかないといけない気がしましたので書いてみました。

 

忘れてしまいますので!!

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